1人飲みで人生が変わった話

電車もバスも乗ったことのない田舎者の僕が1人飲みのおかげで人生がどんどん変わっていった話を小出しにしていきます。

僕の労働環境

 

僕が1人飲みを始めるきっかけになったのは職場の環境でした。(両親が酒好きというのもあります)

 

 

僕は今治療家という生き方を選択しています。

治療家って何?という方も多いと思うのでこれまたざっくりと言うと、体の痛みや不調に悩む人を健康に導く仕事です。鍼灸マッサージ師、柔道整復師、骨接ぎさん、整体さんなどの中でもプロフェッショナルが治療家に当てはまります。

 

仕事とは誰かの悩みを解決する物ですが、その中でも人にこれだけありがとう!人生が変わった!と言って貰える上にお金を頂くことのできる仕事は少ないと思います。

 

僕の現在の治療家としての基礎は高校を卒業してから7年修行させて頂いた治療院での生活でにあります。

学校に通いながら治療院で実務を教えて頂きました。

最初の数ヶ月は指を鍛え、その後指を鍛えつつ人への治療を教わりました。

指が痛くてお箸も持てず、夜には指の痛みで目が覚める生活が続いた後に大先輩や院長からの許可が出て患者さんに治療をさせてもらいます。

 

そこからは自分の責任で患者さんを治療して料金を頂き、自分で予約を管理して生活していきます。

当然技術や人柄のいい人にはたくさんの患者さんがつおていきますが、そうでない人には患者さんがついていきません。

同じ治療院の中でも暇な人と多忙な人の差は甚だしくありました。

 

僕は田舎者でしたが、負けず嫌いでした。

職場の大先輩たちは僕の親と同じような年の治療家で、僕が生まれた頃からこの仕事をしているプロフェッショナル達ですが、そんな雲の上のような相手に、治療家としての努力が何かも分からないのに僕は無謀にも対抗心を燃やしていました。

 

ど田舎気仙沼の高校を卒業してから気仙沼とは文化も環境も全く違う、近所の情報も分からない土地で、患者さんとろくに世間話も出来ないまま自分なりに努力をしても当然成果は出せませんでした。

 

しかし、電車の乗り方も分からない田舎者の僕が最年少で半世紀以上の歴史がある治療院のNo.2を取ることができたのは技術だけではなく、1人飲みをすることで出来たご縁のおかげです。

 

次の記事からいよいよお酒の話が始まります…

 

 

 

残念なところ

→自分の現在地を把握できていなかった、根拠のない負けず嫌いだった、とにかく卑屈だった

 

労働環境

→休みが週に半日のみ、日曜祝日もお仕事

体を酷使

 

良いところ

→どこでも使えるネタが日に日に増える